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教員インタビュー 2013

中川克志 生は「計量化できないもの」によって形成されている 芸術文化コース/音響文化論、音楽学

中川克志

今日はよろしくお願いします。では、まずはじめに、先生の研究内容を教えてください。

専門は音響文化論あるいは音楽学です。
(1)20世紀後半の実験音楽とサウンドアートと(2)19世紀以降の音響メディア論を研究しています。作品の面白い見方を探すことと、音楽とテクノロジーとの関係を考察することに関心があります。ジョン・ケージとかフルクサスとかミニマル・ミュージックとか、レオン・スコットのフォノトグラフとかエジソンのフォノグラフとかベルリナーのグラモフォンとか、そういう固有名詞と付き合っています。詳細はこのウェブサイトを参照してください。


◯参考
John Cage, Water Walk, 1959
Leon Scottのphonautographによって1860年に記録された音声=最古の「録音」

横浜国立大学に就任して今年で3年目になりますが、改めて、この大学の印象はどうでしょうか?変化はありましたか?

横浜という場所については、関西から横浜に来る前も今も、似たような印象です。
つまり、都会が近い田舎って良いなあ、という印象です。
で、学生について。三年目にして何となく定まってきました。
何というか、二極化しているように見えています。一部は大学にべったり居着いているように見えています。大学周辺に住んで下宿と大学を往復するだけで、あまり町に出て行かない学生たちのことです。一部は都会にべったり居着いているように見えています。横浜駅より東のほうに住んでバイトもそっちでやっていて、大学にはたまに来るだけの学生たちです。で、どちらも「都会にも田舎にも近い大学」という利点をあまり活かしてないように見えてます。田舎と都会の両方を往き来するがゆえにできるだろう色々なこと、
「“ホントの地方だったら陥らざるをえない東京中心主義”じゃない刺激的な何か」を、試みてみようとさえ思っていなさそうに見える。

少しわかる気もします。

ま、でもね、これ、たぶんピント外れの「批判」だよね。
大学という場所を活用するにせよ都会の近くで活動するにせよ、なんにせよ、問題なのは常に個人の生活とか心構えでしかないのだから。
たぶん僕は、自分がいる場所に安心しているように見える学生を見るとイラッとするんだと思います。その程度のことで満足しやがって安っぽいもんだなあこの野郎、って感じで。まあ、上から目線で学生に説教しようとしている時点でこれは、「せんせえのありがたいお話」とか「おっさんの説教」に過ぎないかもしれないですね。
あと、「集団」でひとを見るってのはつまらないね。「大学に居着いてるタイプ」と「都会派を目指すタイプ」とかに分類しちゃうと、もうバカみたい。
個人として見ると、学生は、常に面白いです。若かったりバカだったり無謀だったり。あるいは、多幸感や猜疑心や人見知りや恋心や攻撃性に溢れていたりして。あるいは、あこがれや欲望や言い逃れや恋人や友達や別れや台風や裏切りや唇やできごころやワイセツやぼろもうけの罠や…。

それは、奥田民夫の「息子」からの引用ですね(笑)。それでは、人間文化課程について、いくつか質問させていただいきます。社会文化コースと芸術文化コース、2つのコースがあるということについては、どうお考えですか?

中川克志

教員の専門分野が多様で幅広いです。他の大学なら別の学部や学科に、たぶん三つくらいに分かれるかもしれません。でもバラバラではないと思います。社会科学にせよ人文科学にせよある程度の共通了解のもとで、教員たちは人間文化課程の教育という共同作業に従事しています。
で、この「ある程度の共通了解が成立する」ってのと、でも「けっこう多様な領域の教員である」ってのがポイントだと思います。互いに何となく同じような方向を向いているけれど、細かな部分ではそれぞれの立場の常識的な作法を尊重して遠慮しあうところもあります。なので要するに言い換えると、人間文化課程では教員たちは、細かな部分ではけっこうラディカルに自分の好きなことを行うことができるのではないかと思うのです。人間文化課程の2つのコース内部でもかなり専門がばらけているので、そんな風に自分の好きなことを過激にやっている人は多いのではないかと思っています。で、教員が自主的に自分の仕事をオーバーロードする場所では、面白いことが起こると思います。そういう場所は学生にとっても面白いと思うので、社会文化コースと芸術文化コースという区分けはとりあえずの目安程度に考えておけば良いと思います。 よろしく。

そんな人間文化課程には様々な分野を専攻されている教員がいますよね。他の教員の印象はどうですか?

みなさん、とても素晴らしい先生方です。とても大切なことなのでもう一度繰り返します。みなさん、とても素晴らしい先生方です。

中川先生は芸術文化コースの教員ということですか、芸術文化コースでは、何が学べるのでしょうか?

美術、映画、音楽、文学、批評等々、とりあえず「芸術文化」という名前でくくられるものごとを学ぶことで、「計量化できないもの」について考察する習慣を学ぶことができます。「世の中には数値や統計や金銭で計量できないものもある」のではありません。「世の中は数値や統計や金銭で計量できないものによって作られている」のです。と、断言できるようになります。
少し詳しく説明してみます。「芸術文化コース」では、例えば、絵画における筆触の重要性とか映像編集特有のロジックとかデュオニソス的音楽の哲学的重要性とか大学教育という場におけるジェンダーをめぐる諸問題、といったトピックについて考察するかもしれません。こうした問題は瑣末なものに過ぎないと思うかもしれませんが、そうではありません。こうした問題を考察することを通じてのみ、私たちは自分自身について思いを巡らすことが可能になるからです。「計量化できないもの」とは自分自身のこと、あるいはもう少し正確には、自分自身の内なる感性的思考のことです。私たち個人の生の大半はこうした「自分自身の内なる感性」によって形成されています。私たちは、年収とか外見とか性別とか職業とか出身大学とか様々な外見的・外面的特徴に制限されて生きていきますが、それらの外見的・外面的特徴を受け止めるのは私たちの内面的感性という「計量化できないもの」であることも事実です。つまり、私たちの生は「計量化できないもの」によって形成されているわけです。で、私たちは、「計量化できないもの」を考察することによってのみ自分自身について思いを巡らすことが可能になるのです。
芸術文化コースでは「芸術文化」という名前でくくられるものごとを学びます。それは「計量化できないもの」で、これこそが私たちの生を形作り、私たちの「文化」を作り上げるものです。私たちは自らを知るためにもこの「計量化できないもの」について学ばなければいけないと思います。
そしてきっと、社会のおまけに文化があるのではく、文化こそが社会を作りあげているのです。
たぶん。

中川克志

なるほど。そんな私達の所属する人間文化課程の特色として「スタジオ科目」という科目がありますが、この「スタジオ科目」はどのようなものであると先生は認識していますか?

スタジオ科目というのは、学生が何らかの課題をこなすプロジェクト型の授業です。
バウハウスにおけるスタジオ科目のように、モダニズムの文脈で発明された教育方法としてスタジオ科目を運営する教員もいます。また、実質的には、文系の従来的なゼミ授業の延長線上として、スタジオ科目を運営する教員もいます。
しかしいずれにせよ、一年生後期という早い段階から、自分が勉強したい専門分野に近い教員と密接なコミュニケーションを取るのは、学生にとってはとても良いことです。ぜひともしっかり活用して欲しいと思います。

先生のスタジオではどのような研究、活動をするのですか?

「世の中には色々な音楽があること」を知ってもらうこと、を目的としています。そのために「ある特定のひとつの種類の音楽」の歴史を学んでまとめる、という作業をしています。「モダニズムの文脈で発明された教育方法」と「文系の従来的なゼミ授業の延長線上」との間にある感じです。また、生成音楽WSというサウンド。アーティストのワークショップを開催したりもします。これは「文系の従来的なゼミ授業の延長線上」にある変種、かなあ。
詳細はリンク先を参照してください。

ゼミではどのような研究、活動をするのですか?

自分で設定したテーマに基づいて個別研究を行なってもらいます。自分でものを調べて自分の言葉で語り、明晰に他人に説明できるようになって欲しい。
詳細はリンク先を参照してください。

音楽の「振り幅」みたいなものは、僕にとってとても重要なものです。「世の中には色々な音楽があること」を実際に自分の身で生きることが重要なんです。
アカデミックでシリアスなゲンダイオンガク、いわゆる「普通のクラシック音楽」、いわゆる「普通のポピュラー音楽」、ジャズ喫茶で流れるレコードに録音されているジャズ、ライブハウスやカフェでの活動が中心のインディーズのロックバンド、ブラジル発祥とされるけども案外歴史の浅いボサノヴァ、これまた実は案外歴史の浅い演歌、等々。このリストはいくらでも増やすことができるのだから僕の「振り幅」はけっこう狭いものに過ぎないのですが、世の中には自分が好きな音楽「以外」にも音楽はあること、そしてそのそれぞれがそれなりに面白かったりつまらなかったりすること、を自分の身で生きてみること、そして自分で強く意識することは、僕にとって重要なんです。
これは、統計的にどの音楽が世界中でどれくらい売れていたりどれくらいの割合で聞かれているからどれくらい重要だ、とかそういう話ではありません。また、様々な文化にはそれぞれの音楽文化がありそれぞれにはそれなりの長所と短所があるみたいな、文化相対主義的な観点の重要性(だけ)を主張したいわけではありません。とりあえず一番重要だと僕が思うのは、「常に他のやり方があること」を知ることです。
「これ」だけじゃなくて「あれ」もあるということ。ということを具体的に知ることは、いつでもどこでもとても重要なことだと思うんです。
たぶん。

中川克志

私も精進しようと思います。ところで、先生は、学生時代をどのように過ごしましたか?

学部生時代は、大学に友人はひとりもいませんでした。大学の外で知り会った友人たちとバンドばっかりしてました。歌ものバンドの後ろでドラム叩いてました。そのうち「現代音楽」を知って興味を持つようになりました。

大学に全く友人がいないという人は珍しい気がします。ちなみに専攻は?

美学美術史学科という学科出身です。カントとかヘーゲルとかの美学哲学を研究する人と、仏像やセザンヌの絵画など美術史を研究する人と一緒にいました。僕はその隅っこで現代音楽の研究をしてきました。大学院以降は大学に馴染み、研究室の先輩後輩同級生たちに色々とお世話になりました。でもそういや、自分の研究分野に関連する仲間は出身大学の外で知り会った人ばかりだなあ。

学生時代にやってきて良かったと思うこと、後悔していることはありますか?

起こったことはすべて良いことです。この「良い」の意味を変えることでひとは生きていきます。なので、僕は「後悔」しません。
たぶん当時の大学生の平均よりたくさん読書したのが良かったです。あと、大学の外で人と出会って話す機会が多かったので、「人見知り」の性格を隠せるようになったことが良かったです(と思ってるけど、けっこう簡単に見破られます)。
人生において時間のあるときにたくさん本を読まないといけない。じゃないと、ものを考える習慣を持たなくなるし、ものを考えない人間は他人か自分に食われるだけです。
他人と話せるようになっておかなければいけない。心のうちに言葉を秘めて何も話さない人間は、ただのバカでしかないです。「他人に自分の心の中を忖度(そんたく)してもらえる」のはせいぜい小学生くらいまで、と肝に銘じておきましょう。

最後に、人間文化課程の(を目指す)学生に一言お願いします。

生きてるだけでまるもうけ。


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